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今週の日曜日は照姫まつり!

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4月24日(日)に、石神井公園近辺で、
「第35回照姫まつり」が開催されます!

恥ずかしながら、「照姫まつり」の存在を知らなかったのですが、
毎回100,000人も来場する、練馬のビッグイベント。
しかも3年ぶりの開催。

そもそも照姫まつりって?というところも
押さえておきましょう。

照姫まつりは、石神井城にまつわる史実に親しみ、
ふるさとの意識の高揚と地域の活性化を図ることを目的として
昭和63年に第1回が開催されました。


照姫まつりの「舞台演技 照姫伝説」では、一般公募された総勢約100人が
豊島氏一族に扮して、石神井城落城にちなんだ物語を披露します。

照姫まつりで披露する物語では、落城のとき豊島泰経は三宝寺池で最後を迎えますが、実際には、平塚城(北区)へと難を逃れ再起を図ったと記録が残されています。

照姫まつり 公式サイトより

照姫まつりでは石神井城主・豊島泰経、その娘と言い伝えられる照姫、
奥方を三役と呼んでいるそうです。

(出典以下:照姫まつり公式サイト

歴代三役と入場者数はこちら。(出典:照姫まつり推進協議会事務局)
以前はタレントさんが歴代三役を演じていたのですね。

今は三役(照姫/豊島泰経/奥方)も含め参加者は公募で選んでいるとのこと。
こういった取り組み、好きです。

入場者数もすごいですね。
屋外とはいえ、参考までに100,000人が来場するイベントってどんなん❓と思い
調べてみました。

なかなかのビッグイベントですね。

石神井城の落城と豊島氏の滅亡

室町時代の文明9年(1477年)、当時の石神井城主・豊島泰経(豊島勘解由左衛門尉)は、対立した江戸城主・太田道灌と江古田・沼袋原で戦い、これに敗れました。

敗れた豊島泰経は、石神井城へと逃れましたが、さらに太田勢に攻められ石神井城は落城し、平塚城(北区)へと逃げ延びました。

翌年、豊島泰経は、平塚城で再挙しましたが、再び太田勢に平塚城も落とされ小机城(横浜市神奈川区)へと逃れましたが、その後消息不明となり豊島氏は滅んだとされます。

照姫まつり 公式サイトより

照姫まつりは、地元に伝わる「金の乗鞍と照姫」の伝説を題材にした物語を演じます。

金の乗鞍と照姫伝説のあらまし

道灌に攻められ最後を悟った石神井城主・豊島泰経は、家宝「金の乗鞍」を置いた白馬にまたがり、城の背後の三宝寺池に身を沈めた。泰経の娘、美しく聡明な照姫もまた父の死を悲しみ、後を追って三宝寺池に身を投げた。


道灌はこれを憐れみ、照姫の亡骸を弔って塚を築き、この塚はいつしか姫塚と呼ばれ、そのそばに立つ老松に登ると、池の底に泰経とともに沈んだ金の鞍が燦然と輝いているのが見える。

照姫まつり 公式サイトより

石神井公園内に城跡があり、
その城主、豊島泰経一族が太田道灌に攻められ
滅びてしまった伝説を基にしているんですね。(悲しき伝説・・・)

(以下出典:照姫まつり公式サイト

豊島一族に扮した約100名が石神井公園近辺を練り歩き。

当時の衣装に扮した行列は100m!
これは壮観ですね~!!

照姫行列のスタートが13時10分、駅前会場をまわって
15時20分の野外ステージがクライマックス。

初めてだと、どこで見たら良さそうかまったく想像つかないのですが、
最初と最後はちゃんと見ておきたいところです。


また、行列だけではなく、お子様向けのワークショップや
各会場でダンスや太鼓のプログラムなども同時開催。

飲食ブースはこちら。
東 くつろぎ広場
 家族のラーメン食堂はないちの揚げワンタンとビールが気になります・・・

西 けやき広場
 ふかやカレー焼きそばが主張してきます!!
 

日曜日の練馬は天気も良く、最高気温27℃の予想。
お祭りにぴったりな天気。第35回照姫まつり、楽しみです!!











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